「GATE」


五感すべてで体感できる、巨大地下空間と
アート作品が融合した壮大なアートインスタレーション


Artist
栗林 隆
Takashi KURIBAYASHI
1968年生まれ。長崎県出身。 93年に武蔵野美術大学を卒業後、渡独。2002年にクンストアカデミーデュッセルドルフでマイスターシューラーを獲得しドイツで活躍。帰国後、13年にインドネシアへ移住し、ジョグジャカルタを拠点として、世界各地で制作・発表を続けている。武蔵野美術大学の客員教授。
栗林隆 公式サイト:

栗林 隆 × 元気炉

アートを通して、まちと人を元気に。
「元気炉」で、人間と自然が持っているエネルギーを起こす


宇都宮市大谷地区に点在する、日本遺産にも認定された大谷石の採石場跡地を多くの方に「見てほしい」という想いから始まったプロジェクト「Under Museum Challenge 01GATE、 現在のU integrate 」。これまで立ち入り禁止の区域だったからこそ残る、自然と人口物の融和した非常に珍しいこの空間に、現代美術家・栗林隆氏によって新たに生まれたのが原子炉の形をかたどった薬草スチームサウナ「元気炉」。今、この大谷のまちに新たな交流と活力を生み出している「元気炉」は、いかにして生まれたのか。そしていかなる思いを込めて手がけたのか話を訊いた。
― 「元気炉」は、東日本大震災以降に訪れた福島県での体験に着想を得て生まれたのですよね。
東日本大震災以降、福島や原子力発電に関するネガティブな情報がネットに溢れていました。私にとっては実際に見て感じることが大事だと思い、10年通い続けました。最初は私もネガティブな印象を持っていましたが、情報のスクリーンを外していくと、私たちと同じように生きている福島の人たちがいて、原発事故の影響で人の手が止まったことで草木や生き物、そして自然が還ってきている本来の福島が見えてきました。そしていつのまにか、福島の人たちから元気をもらって帰って来ている、会いにいきたくて通っていることに気づいたのです。


― 外からのネガティブな情報で決めつけていたけれど、実際は違っていたと。 そうなんです。そして震災から10年目の頃。原発という問題を全く違った捉え方ができないかなと考えてみた時に、30年程前から薬草のスチームサウナを作りたいという構想と掛け合わせて、原子炉の形をしたスチームサウナを作るアイディアが浮かびました。そうしていると富山の発電所美術館からお声かけいただき、好きなものを作ることができる機会をいただいたのでタイミングよく制作が実現したという経緯があります。初号機が完成した初日は、タイトルがまだ決まっていなかったのですが、サウナに入って出て来たみんなが超ハッピーで元気になっていたのですよね。それを見て、これはみんなの元気で動いている「元気力発電だ」と。そして私の福島での体験ともリンクしていたので「元気炉」と名付けました。
― みんなをハッピーで元気にする「元気炉」が、日本中、世界中にあれば平和でみんなハッピーになりますね。 そう思います。特に免疫力や抵抗力を高めないといけない、今こそ必要かもしれません。高温のサウナと違って熱すぎず、どちらかというとリラックスできるので、何時間でも入っていられるんですよね。疲れている人ほど長く入っていたり(最長5時間!)、サウナが苦手という人ほど一度体験してみると感動してハマっていたりしますね。なにより薬草のスチームを、毛穴と呼吸をするので肺からも取り込むことができ、さらにサウナから出たらお茶にして飲むことで、全身に吸収され体の内側から元気が漲ってくるのです。日本が昔から薬草天国といわれ、東洋医学で自然治癒を高めてきたようなものと同じですね。体の中にある何億という菌は低温になると活発化するので、最近はシャワーで済ませてしまう人も多いそうですが、本来はこうして体の芯から温めることで人間は元気になっていくと。とはいえ、この「元気炉」は医療装置でも単なるサウナでもなく、あくまでもインスタレーションを体験することで健康に、元気になるアートです。


― 元気になれるだけでなく「元気炉」の中で会話が生まれたり、出てからお茶を飲みながら交流ができたり。この元気炉がある大谷の町の人と外から体験するために訪れた人にコミュニケーションが生まれるところも魅力ですよね。 コミュニケーションが生まれるキッカケとなる場所ですよね。江戸時代にも蒸し風呂のような交流の場所があったり、そこで日本人らしい健康を保っていた歴史があると思うのです。そういったコミュニケーションや健康についての考え方を、取り戻したいという思いもありますね。また、アートというと高尚で難しいものとして捉えられがちですが、実際に体験しながらアートの一部となることで、実は特別なものでなく、世の中のもの全てが捉え方次第でアートであり、様々な可能性があるという本来のあり方も伝えたいですね。最近は、そういったアート体験ができるところも少ないですから。
― なかなかこの地下の空間で、これだけのスケールのアートを体験できる場所というのは貴重ですよね。またここからさらに大谷の町全体に新しい広がりが生まれていくのだろうなと感じます。 もちろん「元気炉」も大事ですが、これは大谷というエリアにとってひとつのキッカケですからね。すぐ近くにある公衆浴場だったところも、廃屋の良さを残しつつ中に「元気炉」を作ってみたりしたいなと考えていたり。近くの山も手付かずだけど魅力的ですしね。日本全国で都市開発が進んでいますが、どこも同じになってしまうので……綺麗にしたり補修するだけでなく、いかに自然のまま管理していくかが大事だと思います。この「元気炉」もいつか忘れ去られてもここにあり続けて、二、三十年後に誰かが発掘することになってもいいと思っています。たとえ朽ちたとしても、変化しながらも育っていくものこそが永久だと私は思うので。「これが壊れちゃったらどうするんですか?」と聞かれるけど、そういうことではなく「壊れても最高でしょ」と。このままどんどん土に覆われて、中に草が生えていくのもいい。これは私が作ったというよりも、作品自体がここにできあがりたかったということに私は手を貸しただけですから。そういった自然のまま、そして本来のあり方をもう一度考えながら、「元気炉」を通して交流を生み、大谷の地元の方たちやアーティストたちでエリアの魅力を広げていくことができたらと思います。
